orlm8のブログ

人生、社会、読書など、興味を持っている話題をとりあげます

少年よ、大志を抱け ウィリアム・スミス・クラーク のように

テーマ:人生
私は理想を捨てない。
理想は現実をよくするためにあるのである。


現実を少しでもよくしたいのなら、高邁な理想を持つべきである。
そしてそれに向けて一歩一歩進んでいくべきである。


少年よ、大志を抱け ウィリアム・スミス・クラーク
の教えのように、である。


いきなりである必要はない。
少しずつ少しずつ大きくなっていくように、一歩一歩着実にだんだん上に上がっていくことが大切だと思う。


それはその人にとってもプラスであろう。


ハンセン病に献身した人たちから考える

テーマ:愛
ここに大変恵まれているキリスト教徒がいたとする。


この恵まれたキリスト教徒は当然のことながら、自分が恵まれていることを恥や罪であるかのように振舞うべきであると思う。
そしてそれ故に隣人に他の人よりも献身的であろうとするべきである。
それができないのならばそれはとても罪深いから、としか思えない。
なぜなら隣人で反対に恵まれない存在の人が世界にはいて、キリスト教徒なら当然それに対していたたまれない気持ちにならなければいけないからである。


またハンセン病の人の話で恐縮だが、ハンセン病の人たちを助けに行ったダミアン神父さんや神谷美恵子さんはいわばこういった人たちだった。
自分の恵まれていることを決して喜ばず、その反対の言動をとり続けた。そして心で悩んだ。


ハンセン病の人たちはかわってくださったのだ、と、神谷美恵子氏は言う。
自分でなくなぜこの人たちが。という悲痛な叫びである。
ハンセン病の方たちへの深い愛に元ずく言動、そして心の持ち方。


ダミアン神父さんの、あなたがたハンセン病の人たち、と言っていた時の苦しみ。
自分とは違ってこの人たちはとても傷つき苦しんでいるのに。私ときたら・・・というものであろう。
自分の恵まれていることを呪うかのような態度を示された。
何という深い隣人愛であろうか。

人間の理性というもの

テーマ: 人間
完全無欠な人間はいない。
皆、欠けた存在である。


ここに一人の人格の完全無欠と言えそうな人がいる。
しかしその人は実は完全無欠ではない。
やはり人間であるから欠点だらけである。
外から見てはしかしいかにも完全無欠である。


どうしてその人がそう見えるのか。
その人はたぶん自分の欠点を理性で補っているのであろう。
他人を思うあまりに自分を無にして自分のしたいようにしたくてもそうせず、
例えば他人が喜ぶように理性で行動し、発言しているのであろう。これによって完全無欠に見えるのであろう。
これが社会性、という、人間ならではの尊い姿勢であろう。
その人の一日はとても完全なものではないことは言うまでもないであろう。
どこかで欠点を出していると思われる。それが人間である。


人間の理性にはいろいろなことをいい方にもっていくために自己を抑えたり、強く出したりしていろいろなことを決定して表す働きがあると思う。
尊い理性、その反対の理性とは言えないもの、
どちらを選ぶか。そしてその使い方によっていろいろなことが様々に変わる。それを決めるのは自分の心であろう。良心に従うか、否か。


人間というものを深く考えてしまう。