orlm8のブログ

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虫への愛が地球を変える

人間にとって、昆虫は生きていくのに欠かせないありがたい存在である。
これはどの生物の対しても言えるかもしれない。


昆虫は、例えば蜂。
蜂は植物の蜜を吸い、その時に体に花粉をつけてそれをめしべにつける。
これによって植物は実を結ぶ。
人間はこれを食する。
ミツバチからは蜜をいただいている。


このように、人間は蜂から恩恵を受け、食物を得ることができる。


また、ハエはどうであろうか。
ハエは人間がいらなくなった食物のゴミ等を食べる。
地球はハエによってきれいにされている。
ハエたたきで叩くだけの存在ではないはずである。
ハエにはハエのありがたい働きがあるのである。


人間の知らないところでも昆虫たちによる、自然界のありがたい営みがあるに違いない、と思う。
それなしには人間は存在できないかもしれない。


この世界には様々な生き物が存在している。
時々生き物のありがたさを感じる生き方をしたい。
それなしには人間は存在できないかもしれない、といったことも時折考えたい。
私たちは他の生物に対してある程度のいい環境をつくることが大切ではないであろうか。


ここでは昆虫を例にとったが、植物であろうと、何であろうと、お互い同士、助け合って生存しているのではないであろうか。
地球上で起きていることはかなり複雑であり、人間にとってはまだ未開である。

やっと落ち着ける教会に巡り合い

長い道のりだった。
しかしやっと頂上に向かって歩けている感じがした。
落ち着ける教会に巡り合ったのである。
牧師先生もよかった。


聖書の学びは楽しいし、説教も興味持てた。
今までの運の悪い巡りあわせが嘘のようである。
少しずつ、お祈りも覚えた。
周りも落ち着ける雰囲気だ。


何かが少しずつ変わり、少しずつ動いた感じである。

牧師先生に物申す 

全ての牧師先生のことを申しているのではない。
一部の牧師先生である。


私は牧師先生の説教がとても退屈である。


大学の学問はこれがあまりにある種の学問的なものであると、実際社会には役に立たないものであることがある。実際的でない、生活に密着していないものであるからである。
これが一時問題になり、大学で教える学問をもっと実際社会から乖離していない、社会、社会生活、生活、に密着したものにするべきである、といった考えが流布した。


あちこちの教会に通ってみて感じたことは此れと同じことである。
教会のいくつかでは説教があまりに教義的で実際生活からかけ離れていて、まるで前の大学の学問のようである、と感じるのは私だけであろうか。
学問的、といったらいいであろうか。
聖書を大学の学問のように説き明かす牧師先生がいらっしゃり、私はそういった説教はあまり聞きたくなく思う。


教会によって説教はかなり違う。
どういうことなのであろうか。