orlm8のブログ

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牧師先生と信者が裁判で争う悲劇

私は玉川平安教会、に通っていたことがある。
この教会の不祥事にはほとほとあきれ果てている。
東京神学大学で教鞭をとる牧師先生が、なぜあのような振る舞いをしたのか。


教会は牧師先生たちと信者たちが裁判で争ってしまって滅茶滅茶である。血みどろの闘いである。泥沼化している。
私の知り合いは裁判で牧師先生と争った67人の中の一人である。


キリスト教界内でも争い。
どこ行っても争い。
どこも同じだ。


友人たちは教会を出ていったし、献金が激減した、というし、私は他の教会にとっくの昔に移っていて何もなかったが、友人がかわいそうでならない。
それに私自身が全くキリスト教世界から身を引きたくなってしまっている。


もうたくさん。争いは。


友人から争いの内容はつぶさに聞かされたのがつい最近である。
私はもう我慢できなくなった。キリスト教界から離れようと思う。
日本では今は無理である。

キリスト教徒はなぜ人にお説教して歩くのか

キリスト教徒に悩みを打ち明けるといつもお説教をされ、叱られ、たまらない気持ちになる。


人に叩かれた話では、聖書では、右の頬を叩かれたら左の頬も差し出せ、と書いてある。


友人の裏切りのことを話すと、人を裁くな、と聖書には書いてある。


私の過去のつらい思いをぶちまけると、神様は人知に計り知れないことをなさるものである。あなたにいいと思ってなさったのである。


友人から嫌なことを言われたことを言うと、人は皆、罪人である。あなたも罪を犯すではないか。人を咎めるのはおかしい。


何人からこんなこと言われ続けたかわからない。


キリスト教徒の中には本当に酷い人がいる。
隣人愛だとか、理想はそうだが現実はそれとかけ離れている。

雨ニモマケズ のごときキリスト教徒が理想である

雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災
雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災
えにし書房


自分に私は言い聞かせるべく、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』
を再び取り出してみた。


雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に 玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の小さな茅葺き小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って 看病してやり
西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や 訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい


こういった健全な精神、そして実行力、これこそがキリスト教徒になるには必要であろうと思う。
理想的なキリスト教徒に成るべく、修練を積みたい。


私はまだまだ修行が足りない。