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本当の意味で人の痛みに立つ、ということ

ダミアン神父物語
ダミアン神父物語
サンパウロ


本当の意味で人の痛みに立つ、ということ


テーマ:人間


ハンセン病患者の話である。


らいを患っている人のところにある神父が献身に行った。
この神父さんは健康な体の人であった。
そのためにこの人がいくらハンセン病の人たちに何かしても言っても本当の痛みに立っているわけではないので
ハンセン病患者の方では心のわだかまりがどうしてもあったらしい。


しかし献身しているうちにこの神父さんはハンセン病になってしまった。
そして、我々ハンセン病の患者たち、という言葉でご自分を表現するようになった。
ハンセン病患者の本当の隣人になり、本当の痛みがわかる人になった。
そしてハンセン病患者からも完全に受け入れられ、本当に愛されるようになった、という。



このように人の痛みに立つというのは並大抵のことではない。
同じ痛みを持っていないと何もわかったことにならず、いくら言ってもいわば無駄なのである。


また例えば家庭に恵まれた人が家庭に恵まれない人をこうだああだ、こうしなさい、
などと言ってもこれも問題があると思う。
自分が恵まれているからそんなことをたやすく言えるのだ、とも思う。


人が人を上から目線で接して何か言っても何もいいことはない。
それは大変なる失礼な言動でしかないと思う。


反対にある人は大変好感の持てる接し方をしていた。
自分がこれこれこうで大変申し訳ない、といった言動である。
自分が恵まれていることに対するやましさ、
それ故の慎み。
人に対する優しさに満ちた美しい言動の人だと思った。
これこそが人の示すべき理想的な態度である、と、つくづく思った。